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今の小学校教育についての雑感

自分の子ども(2年生)が小学校でやっていることを見ると、今の小学校は座学以外のことでやることが多い。コマ回しとかの昔の遊びを生活の授業でやる。あと街探検と称して町内を散歩したりする。高学年との交流という時間もある。かつては地域コミュニティが担っていた部分を、(地域コミュニティの崩壊に伴い)学校が引き受けるようになって、そのぶん座学が減っている感じがする。その座学も、先生の説明の時間や、みんなで考えて発表しようといった時間が長くて演習量が少ない。 子どもが小学校に入ったばかりの頃は、もっと演習をやらせるべきでは?基礎学力無しに探究も思考もないだろう・・・と思っていたけど、うちの場合は結局家で公文やドリルを使って基礎学力面は仕上げているので、親の手が回りにくい演習以外のことをふんだんにやってくれて有り難いなと最近は思うようになった。ただまあ、親が子どもの勉強をケアしない、ケアできない家庭は学力が散々なことになると思うし、日本の未来のためにはあまり良くない方向性だとは思う。全体的な質が高いのが日本の強みなのだから。

教育で最も大切なことは相手へのコミットメント

具体的には、相手の立場に立って、相手に何が必要なのかを考える。そして、何があってもケツモチするという姿勢を示すこと。相手が自分の子どもでも、そうじゃなくても、コミットメントを示すことが最も大切だと思う。それがなければ、何を言っても相手には響かない。 教育に限らず、何かの提言などでも、相手へのコミットメントのないアドバイスや批判などは、相手からしてみれば「だからお前は駄目なんだ。こんな素晴らしいことを言ってる俺って頭いいだろう?」と上から目線で見下しているだけのクソ野郎になってしまう。だからホリエモンやひろゆきが何を言っても、相手には何も響かない。まあ彼らは、相手に響かせるために言っているわけではなくて、頭の弱い信者を集めて金儲けをするためにやっているのだけど。 話を戻すと、子どもの教育では、子ども中心に考え、子どもの人生にコミットすること。親の見栄や願望を中心に考えないこと。判断に迷うことがあったら、この原則を思い出す。

子どもの精神年齢を高めたい

子どもの精神年齢の高低が、中学受験の成否を分ける重要なファクターだとよく言われる。ではどうすれば12歳までに子どもの精神年齢を高めて、受験の運ゲー要素を減らせるのか?あまり考えがまとまっていないけど書いてみたい。 精神年齢に与える環境の影響は大きい 武士の時代だったら10代前半で元服は当たり前だった。農民や商人の子も、小さなころから家の手伝いをして、10代前半で立派な戦力だった。海外も似たような状況だった。昔も5歳や6歳頃までは遊んでいただろうけど、10歳を過ぎても遊んでいられるような環境ではなかった。昔の偉人の伝記を読むと、だいたいが10代前半で頭角を現している。エジソンは12歳で八百屋を経営して親にお金を渡しつつ、列車の売り子をしつつ、勉強と実験に明け暮れていた。 現代社会は、家事が大幅に減って子どもがやる手伝いはほとんどない。勉強もヌルい。公立中への進学は試験も何もないので、どんなに小学校の勉強が出来なくてもそのまま上がれる。中学受験否定派の人は、「15歳は自覚が出て勉強する。12歳はまだ早いし遊びたい盛りだから可哀想」と言うけど、今の社会では高校進学時がモラトリアムの終わりになっているから止むなく勉強するだけで、もし高校まで義務教育化して試験なしに高校生になれるようになったら18歳まで遊び続けて勉強しないでしょう。 現代社会は環境が恵まれすぎていて、社会から隔絶され保護される期間が長いから、子どもの精神的な成熟が遅い。また、地域コミュニティが崩壊し、異年齢の交流が減っているのも、子どもが幼稚なままで居続ける要因になっているだろう。外では幼稚な子ども同士の関係しかなく、家では親が子どもファーストでお世話をするのでは、いつまで経っても幼稚なまま。 幼稚ではない環境を与える ・家の手伝い 料理、買い物など出来ることをやらせる。人の役に立つのは、子どもも嬉く感じるようだ。ただ最近、スーパーのレジがセミセルフレジになって、精算機のタッチパネルに子どもの手が届かない問題が発生するようになった。あれは困りますね。 ・疑似商売 お店屋さんイベントみたいなものへの参加。何度か参加したけどこども夢の商店街というイベントが面白い。やったことはないけどフリマへの参加も面白いと思う。リアル店舗の店員体験みたいなものもあったら参加させたい。キッザニアは、ちょっと至れり尽くせり過ぎるかな...

算数を言語で考えると算数が苦手になるのでは

日本の小学校には、かけ算の式の順が違っていたらバツをつけられる かけ算の順序問題 というトチ狂った話があるのですが、これは算数の問題を日本語で考えているからこんな話が出てくるわけです。英語だと、感覚的に自然に思えるかけ算の式の順序は逆になりますから。言語によって正解が変わるものなんて「算数」とは呼べません。 地球の言語は発話をベースにしているためserialです。serialで算数を考えると、非常に不自由です。イメージを作って、同時的多方向観点を持ち、パズルを解くように考えたほうが算数が出来るようになると思いますね。

子どもに語るシリーズが素晴らしい

最近、 こぐま社の子どもに語るシリーズ を図書館で借りてきて、寝る前に読み聞かせをしている。一人で本を読むようになってからは読み聞かせはほとんどしてなかったけど、このシリーズは気に入ったみたいで、読んでくれとせがまれる。 子どもに語るシリーズの素晴らしい点は、 ・一つのお話が5~20分で読み聞かせできる長さにまとまっている。 ・選りすぐりの昔話だけあって内容が面白い。 ・文章が美しい。子供向けだけど、幼稚な言葉は使っていない。 ・様々な国の価値観や昔の暮らしに触れることができる。 ・とんちの効いたニヤリとするような話もあり、読解力が鍛えられる。 娘は普段は寝付きが悪いのだけど、部屋を薄暗くしてこのシリーズの読み聞かせをするとすぐに寝てくれる。  

受験をスポーツに例えると

①基礎体力(練習をこなす体力) →学習習慣、集中力、主体性、食事・睡眠・健康 ②運動能力(筋力や持久力) →読書、漢字、計算、作文   ③技術 →問題を解く力 塾が提供するのは③のみ。①と②は家庭でやらないといけない。①と②をおろそかにして塾に丸投げしても良い結果は出にくい。

東大生の親に共通する◯◯について

この手の話は生存バイアスがあるし、だいたいが「素質100の子が能力100に育って東大に入りました」ということだけなので、なんの参考にもならないですね・・・。そういう子は放っておけば勝手に秀才に育ちますから。素質50の子が、能力100は無理でも70や80に育つ方法を考えて言語化しないと。