なぜポケモンは許容できるのにイタリアンブレインロットは許容できないのか
今の小学生男子の共通の話題として、おそらくトップレベルの認知度を誇るのがイタリアンブレインロット(イタリアの脳腐れという意味)。マイクラやポケモンよりも人気が高いと思う。
私はマイクラやポケモンには好意的な印象を抱くけど、イタリアンブレインロットは受け入れられない。しかしなぜ私はポケモンを受け入れるのに、イタリアンブレインロットには嫌悪感を抱くのだろう。架空のキャラクターがベースとなるコンテンツという点では、両者にそれほど大きな違いはない。
見た目の気持ち悪さ?
イタリアンブレインロットには意味や物語がないから?(フレーバーテキストみたいなキャラ設定はあるようだが)
ポケモンは心に残る何かがあるけど、イタリアンブレインロットは何も残らないから?
単に私が旧世代の人間だから?
イタリアンブレインロットに限らず、流行り物のショート動画は、視覚や聴覚に強い刺激を与えて依存状態にするデジタルドラッグだと個人的には思っている。
インターネットミームやショート動画は、意味や物語の喪失という点でも、コンテンツをユーザー自らが作って供給し、多数のユーザーがその視聴にドラッグのように依存するという点でも、人間の文化の最先端の動きだろう。
意味や物語を喪失していくことは、文化的な味わいがなくなりつまらないと思うのだけど、人間の脳がインターネットミームに寄生され、聴覚と視覚からの強い刺激に依存していく流れは止められないだろう。人間は考える葦から、外部刺激に対して機械的に反応するだけのゾウリムシのような生物になっていくのかもしれない。
私はディストピア小説が好きで、このような展開は、知識が失われていく華氏451度の世界のようでゾクゾクする。ただ、20世紀のディストピア小説ではトップダウンの抑圧でディストピアが実現されていたが、現実の21世紀では民衆自らが知性を放棄し、自らが供給するコンテンツを互いに消費し合うことでデジタルツールの奴隷になるというボトムアップ型のディストピアが実現しつつある。
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